与那覇 忠 TADASHI YONAHA

1953年(昭和28年)、当時はまだ米軍統治下にあった南西諸島・宮古島に生を受ける。
小学校高学年時には「俺は社長になる!(何の社長かは未定)」と考えはじめ、戦後再開された南米への移民政策の影響もあり、中学生時代には「俺はブラジルに行く!そこで大農場主になる」と大志を抱く。
その後、高校卒業までを宮古島で過ごす。
高校卒業後一年間、宮古と那覇を結ぶ連絡船「宮古丸」の船員として勤め、夕日を浴びての平良出港、朝日を浴びての泊(那覇)入港の日々を過ごす。
 
時は流れ、多くの経験を経て、その後は首都圏を拠点に。
いつからか自身の人生経験に基づいたソングライティングを行い、積極的な音楽活動を開始。
2015年には故郷沖縄にて二度のライブ・コンサートを実施。2016年6月にも沖縄県浦添市にて中規模ホールコンサートを行い、さらに11月には埼玉県熊谷市にて初の大型ホールコンサートを開催。
現在、各地の歌謡フェスティバルへの精力的な参加と、新曲の制作、与那覇忠コンサート2017の企画を行っております。
夕日を浴びて 船は出港(で)る
平良の港は 人だかり
七色のテープの花が咲き
手をふり 笑う人 泣く人
それぞれの夢をのせ
希望の船は行く・・・・・宮古丸
月夜の海を 那覇に向かう
星が導く 人の道
それぞれの人生の 道しるべ
「きっとやるぞ」と ひとり言
錦を飾る日まで
「帰らない」と誓う 我が胸に
  おとう かあちゃん
  それじゃ行ってくるぞ
  きっと ひと旗揚げて帰ってくるからな
  そのときゃあ そのときゃあ

朝日をあびて船は 入港(はい)る
泊の港は 人だかり
ここは 人生のスタートライン
つらい さびしい時も くじけるな
それぞれの 夢をのせ
希望の船は行く・・・・・宮古丸

それぞれの 夢をのせ
希望の船は行く・・・・・宮古丸

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